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NAOストーリー

02
キタノカオリで
つながる“絆”NAO × 開発者 × 生産者
 インタビュー

キタノカオリの小麦粉は、パンを焼いたときの豊かな香りともっちり感で、パンを作る人にとっては大変魅力的な小麦粉として知られています。一方で、流通量が少ないため手に入りにくく、幻の小麦となりつつあります。2020年現在、そんな貴重な小麦を生産している唯一の地域が、北海道・岩見沢市。この対談では、キタノカオリの魅力に取りつかれた1人・手作りパンNAO店長の直美さんが岩見沢に赴き、キタノカオリ生みの親・西飯(にしい)さん、若手生産者のリーダー的存在である安藤さんと、キタノカオリについて語り合ってもらいました。

キタノカオリ生みの親・岩見沢市農業試験園所属

西飯 弘行 さん

1999年、JAいわみざわに入組以降、キタノカオリの品種化に尽力。生産開始後は、生産方法の指導にあたり、キタノカオリの増産活動などを精力的に行う。JAいわみざわ退職後も、岩見沢市農業試験園で農業技術専門員として、キタノカオリの育成支援の他、キタノカオリに替わる新しい品種の育成に取り組んでいる。

キタノカオリ生産者・株式会社安藤農産

安藤 雄介 さん

2005年より家業である株式会社安藤農産で様々な農作物の生産に取り組む。キタノカオリの生みの親・西飯さんの指導のもと、キタノカオリの生産に着手。現在では、キタノカオリ生産者のリーダー格として、若手生産者を引っ張る存在である。また、キタノカオリ採種グループを組織し、キタノカオリの種子の生産にも取り組む。

偶然から生まれた
おいしさ

西飯さんはキタノカオリの産みの親だと伺っております。キタノカオリはどのようにして生まれたのでしょうか?

西飯:

キタノカオリは北海道の「ホロシリコムギ」とハンガリーの「GK-Szemes」という製パンに優れた小麦を掛け合わせて作られました。農協にいた私は、2000~2001年と試験栽培を経て、2002年から本栽培をスタートし、翌年の2003年の収穫分から「キタノカオリ」という品種として登録され、販売を開始しました。
当時は秋蒔き小麦で国産の小麦はうどん用の小麦(中力粉)しかない状況だったのですが、小麦の消費状況を見ると7割が強力小麦(パン)だったんですよ。これはおかしいなと。やはり国産の小麦粉で作ったパンを食べてもらいたいという思いから、強力粉を作らなければならないと思いました。そうした中で、国(北海道)の試験場がパン用の小麦(強力粉)を作ろうということで、開発していたのが、キタノカオリなんです。もう何がなんでも品種にしようと思いました。販売開始と同時に岩見沢市の学校給食のパンでも使用され始めました。

学校給食でキタノカオリのパンが味わえるなんて、とても贅沢ですね。売り出しは好調だったのでしょうか?

西飯:

キタノカオリは北海道の「ホロシリコムギ」とハンガリーの「GK-Szemes」という製パンに優れた小麦を掛け合わせて作られました。農協にいた私は、2000~2001年と試験栽培を経て、2002年から本栽培をスタートし、翌年の2003年の収穫分から「キタノカオリ」という品種として登録され、販売を開始しました。

当時は秋蒔き小麦で国産の小麦はうどん用の小麦(中力粉)しかない状況だったのですが、小麦の消費状況を見ると7割が強力小麦(パン)だったんですよ。これはおかしいなと。やはり国産の小麦粉で作ったパンを食べてもらいたいという思いから、強力粉を作らなければならないと思いました。そうした中で、国(北海道)の試験場がパン用の小麦(強力粉)を作ろうということで、開発していたのが、キタノカオリなんです。もう何がなんでも品種にしようと思いました。販売開始と同時に岩見沢市の学校給食のパンでも使用され始めました。

直美:

私はパン屋を始めるときに、2007年に江別製粉のサイトで「キタノカオリ」の存在を知りました。「これから需要が増えるであろう小麦粉」と書かれていたのを見て、まず、これは誰も使っていない小麦だと思い、取り寄せてみました。試しにパンを作ってみました。当時は自分で手ごねで。そうしたらそれはもう本当においしいパンになりました。

それが運命の出会いだったわけですね。

直美:

モチモチとした食感と焼きあがった時の香りの良さに魅了されました。その瞬間に、キタノカオリでパン屋をやることに決めました。

西飯:

他の小麦粉と全然違うからね。シンポジウムで色々な小麦粉で作ったパンを食べ比べる機会がありましたが、キタノカオリは風味が抜群でしたね。

直美:

そうなんです。香りもそうですが、味がいいです!小麦粉の甘みをしっかり感じます。

キタノカオリを使ったパンは全国にもファンが多いですよね。個人で気に入って使っていらっしゃる方も結構いる一方で、生産者が減ってきて、手に入らないという声も聞きます。

西飯:

岩見沢でしか作っていませんから。量が仕入れられないため、少し混ぜて風味を持たせるという製法の方が多いそうです。直美さんのように100%というのはほとんどないですね。

直美:

100%のパンが作れるだけのキタノカオリを使わせていただいて、本当にありがたいです。

生産量を増やすことは難しいのでしょうか?

西飯:

キタノカオリは赤さび病※や穂発芽※に弱いんです。また、同じ畑で連作ができないことなど、生産のハードルの高い小麦と言えます。そのために生産者がだんだんと減っきてきてしまっていて。
3年前には岩見沢でキタノカオリの生産をやめるという話まで出てしまい、非常に危機感を覚えました。当時、全国のパン屋さんから、直美さんと同じように「キタノカオリがあるからパン屋を始めた」というお店から、やめないでほしいというメッセージを動画など様々な形でいただきました。もう自分で作ろうかと思ったくらいです(笑)

  • 赤さび病
    葉の表面に、オレンジ色で細長くやや隆起した楕円形の小さい斑点が現れます。やがて表皮が破れて粉末(胞子)が飛び散る。
    症状が激しいと、葉の全体がさび状の粉で覆われ、葉が巻きあがるようにして枯死する。
  • 穂発芽
    小麦が成熟し収穫段階を迎えたときに降雨にあい、立ったままの状態で発芽する「穂発芽」という現象が起こると、でん粉分解酵素の活性が 高くなり、でん粉が変性し、その結果アミログラフ(粘りのもとになる成分)が極端に低い小麦ができ、小麦粉として出荷できなくなってしまう。

どういった経緯があったのでしょうか?

西飯:

キタノカオリの種子は十勝のめむろ農協で作ってもらっていましたが、十勝では、数年に一度、雨に当たらないにも関わらずアミログラフ※が 低いキタノカオリができてしまう現象に悩まされていました。そのため、めむろ農協では生産をやめることになり、種の生産もやめてしまったんですね。
これにより、岩見沢農協でも生産をやめるという話が出たとき、当時すでに農協を辞めていた私は何もできず、歯がゆい思いをしました。そこで私は何人ものJA関係者や農家の方々に働きかけて、若手農家を中心とした種子生産組合を作るに至りました。

  • アミログラフ
    粘りのもとになる成分。糊化粘度が十分でないと、パンにしたときもっちり感がなくなり、生地がバラバラになってしまう。

西飯さんのキタノカオリへの想いが伝わってきます。

西飯:

岩見沢で採れるもので全国に名が売れているものは、ヒマワリ(切り花)に次いで、キタノカオリなんです。今となってはキタノカオリはここ岩見沢でしか作っていませんからね。それをやめるなんでありえないということなんですよ。

それはぜひ繋いでいかなければなりませんね。キタノカオリの豊かな風味は、開発着手時から想定されていたのでしょうか?

西飯:

全く(笑)。現在は、後継となる新しい小麦の開発を育種を手掛ける試験機関に要望していますが、難航しています。

難航の理由はなんでしょうか?

西飯:

現在の技術では、香りや味の後継品種を作るというのは非常に難しいんです。基本的に、お米や小麦というのは、測定器で測定するとどれも無味無臭なんですよ。人間の舌や鼻でしか味や香りの違いは感じられませんから、実証しようがないんです。

人間の五感はすごいのですね。キタノカオリの豊かな風味も偶然できたということもこのお話で納得できました。

西飯:

そうです。そして日本の小麦の中で香りが強いのはほとんどありません。

直美:

その中でもキタノカオリが断トツですね。100%でパンを焼いてみるとよくわかります。

西飯:

最近は遺伝子マーカーによって、収穫量が多い遺伝子や病気に強い遺伝子などがわかるようになってきました。これにより、育てやすい品種がどんどん出てきています。当初はキタノカオリは作りやすい小麦だったのですが、今ではすっかり作りづらい小麦になってしまいました。

キタノカオリの後継品種も夢ではなくなりそうですか?

西飯:

どうでしょう。味や香りの部分はまだわからない部分が多いんです。

これから解明されていってほしいですね。

西飯:

色々な方法があるので、何かしらできることはあります。根気強く続けていくしかないですね。